今年も徳島県統計グラフコンクールが開催され、様々なグラフを使った個性的でユニークな作品がたくさん出品されました。
皆さんは日常的に使っているこの「グラフ」を初めて作った人はどのような人か知っていますか?
初めてグラフを作った人
18世紀にウィリアム・プレイフェアというスコットランド人によって
現在のグラフの原型が作られたと言われています。
私達が毎日目にする、棒グラフ・線グラフ・円グラフは彼のおかげで使うことができているんです。
実際にどのようなグラフを彼が作っていたのかは下記サイトから確認することができます。
このサイトではウィリアム・プレイフェアの誕生から250年を讃えたこの記事からは彼が残した原画を見ることができます。
Computational Statistics 24(4) Editorial: Commemorating William Playfair’s 250th Birthday
どうでしょうか?
今みても十分理解できるわかりやすい図の数々ですね。
グラフを製作するきっかけ
まだグラフで表現するというものがない中で、どうやって彼はグラフというものを作ることになったのでしょうか。
その答えは、彼の「一人の人生をわかりやすく表現する」ことを掲げていたことがきっかけになっていたと言われています。
たしかに、偉人の自伝などたくさんありますが何百ページもの本を読むのは一苦労です。
人の人生を瞬時に判断できる図があれば、多くの人も使ってくれることを狙い、目標に向かって彼は試行錯誤し続けたと言われています。
棒グラフの誕生
そんな彼の「人生をわかりやすく表現する」という発想から、棒グラフは生まれたと言われています。
当時も今も各国の力を表現するのに、経済という観点からよく判断することがあります。
そこで、スコットランドに関して、多くの国からの輸出・輸入についての情報を集めてきて
「国の力をわかりやすく表現する」ことを試み、
1781年でのスコットランドの17カ国との間の輸出入を表すグラフを作成しました。
当時は、平面座標や表形式でしか表現方法がなかったのですが、
この棒グラフは「数字をもとに視覚的に表現できる」画期的な解決策として有名になったと言われています。
ナイチンゲール
ナイチンゲールという言葉を聞くと、
「無償の愛」、「やさしい女性」のイメージを持つことが多いのですが、
実際に彼女がどのようなことをしたのかを正しく理解している人は意外に少ないんです。
看護師のロールモデルとして知られているように戦争で傷ついた兵士を心も身体も共に治療したことが有名です。
そのため、「白衣の天使」としてもよく呼ばれることもあります。
しかし、ナイチンゲールの功績はそれだけではありません。
実は「戦争で傷ついた兵士が戦闘中に死んでいる」のではなく、
「戦闘後に戦闘中に負った傷によって何らかの感染症に侵され死んでしまっている」ことを彼女は看護師として働く中で認識していました。
つまり、病院の中の施設を綺麗に衛生的にすること、清潔な衣類を身につけることを行い、病院の改善を主体的に行う必要があったのです。
そのため彼女は、誰が見ても理解できるレポートを提出することを心がけていました。
兵士の死亡理由をわかりやすく円グラフで表現したことが特に有名です。このような活動を行い、周囲の賛同者を増やしていったのです。
その結果、感染症で死んでいた兵士の死亡率は40%から2%まで改善できたと言われています。
数学が得意だったナイチンゲールは、看護という分野ではじめて統計学の考え方を用いたのです。
目の前の患者だけではなく、本当の意味で医療で多くの人を救いたいという熱意がこの物語からも伝わってきます。
このストーリーから学ぶべきこと
人に何かを伝えようとするときに、ただただ「私はこう思う」などと主観的に意見を伝えるだけではあまり賢明ではありません。
ウィリアム・プレイフェアやナイチンゲールのように数字をもとにグラフを作成することで、
・数字だけでは理解できなかった、新しい発見をすることができる。
・数字や文字だけでは伝えることが難しい内容を適切に相手に教えることができる。
たくさんのメリットがあることが分かりました。
伝えたいことを相手にもわかるようにするその工夫としてグラフを用いるということはおすすめです。
グラフは単なる数字を使ったお絵かき図ではなく、必ず背景に「こういう風にあの人に伝えたい」という思いが込められています。
グラフをつくるときには「このグラフで何を伝えられるのか」を考えながら、作ることが大切なのです。